戦艦武蔵・榛名に続いて比叡も発見されるとは・・(なんか悲しくなるね)
出典元:https://www.google.com/search?q=戦艦比叡
この軍艦は同型艦が4隻あって(金剛・比叡・榛名・霧島)
様々な事情で練習戦艦扱いとされていた時期があった。
御召艦(天皇が乗る船)にされる等日本国民には親しみのある軍艦の一つ、
切手にも描かれる位なじみのある艦で当時日本のシンボル的存在だった、
大和型戦艦のテスト艦としての役割もあって他と違う装備がちらほら・・
太平洋戦争の幕開け?として日本が攻めた真珠湾攻撃、この中に比叡もいた、
姉妹艦の霧島と共に戦場に向かう等数々の戦場を体験してきた(すげーな)
ただ上司の内部抗争?により相手を軽視したことでその犠牲となった。
ちなみに・・『比叡』の名の由来は京都にある『比叡山』から!
わしは中学生の時(今でも)軍艦やガンダムプラモに夢中になり作ってた、
比叡の場合姉妹艦が4隻もあったので・・4隻をいつも並べてたもんじゃ、
自作の連合艦隊の戦艦の中にはの~必ず比叡があったもんじゃ!(懐)
今回の比叡の発見に関して・・
発見時比叡は約3分の1が切断されていたそうじゃ、何か大きな爆発が?
おそらく武蔵のように沈没した後主砲の弾が爆発したものと思われる、
このことから見てもな~主砲弾を打つのを躊躇した指揮官の気持ちが見えるよ。
本来戦艦は昼間に出撃して相手戦艦とのドンパチを想定して造ってるんよ(だな)
ただ航空兵力が主流となり物量戦となった太平洋戦争では比叡はもはや時代遅れ、
主砲を打つ機会も乏しくなった(炸裂弾があれば航空戦力に対抗できたかもな)
ただ比叡の場合,艦隊戦から始まって大破したあと航空機の攻撃を受けた、
そういう意味では戦艦本来の仕事をした艦船と言えるかもしれんが(だね)
ある意味当たり前じゃが・・指揮官などは主砲を大物(空母など)に打ちたい、
そのためできるだけ温存したいのはわかるけど・・それで後ずさりになる、
大和や武蔵でも追いつかなかった航空兵力の撃退、比叡クラスだとまず無理。
もし打開策を聞かれたら・・わしなら戦艦の主砲の弾を半分以上炸裂弾にする、
ある程度の距離があっても戦艦の主砲なら届くし広範囲に相手を攻撃できる、
単発だとな~衝撃波で近くの飛行機は落とせるが効果が甘いからの(だね)
航空機は(特にプロペラ機は)相手を発見するまでは団体行動をとるんよ、
迷子を防ぐのと隊長機の指示を聞くため近距離を飛ぶのが定石(だと思う)
となれば・・?密集している時に遠くから主砲で攻撃するしか相手は倒せんよ。
じゃがの~わしが仮にその場にいても・・この案は無視されると思う、
現代でもわしの考えは軽視されるもん!この時代で受け入れる器はおらんよ、
そういう意味では・・ほんと乗務員の方々が可哀そうにとしか思えない。
その苦労があって今がある、まだ『平和』には遠いが発展はしている、
先祖の無念やすれ違いは教訓になる、これを糧に頑張らんといかんよ!
と・・
痛感してる筆者でした!(黙とう!)
『スポンサートリンク』